福島 香織ジャーナリスト大阪大学文学部卒業後産経新聞に入社。上海・復旦大学で語学留学を経て 2001 年 に香港、2002~08 年に北京で産経新聞特派員として取材活動に従事。2009 年に産経新聞を退社後フリーに。
中国で最近の経済系ホットワードは「貨幣戦争」ではないだろうか。中国人民銀行総裁の周小川が外貨準 備高を“弾薬”にして、人民元の空売り攻勢を仕掛けようとする外国投機筋を迎え撃つ姿勢を示したため、2 月 15 日には人民元はここ 10 年余りで最大の上昇幅を記録したとか。2 月以降の中国メディアの記事も「貨 幣戦争」というワードが散見され、金融政策の“軍事化”というか、妙に勇ましい論調が多い。確かに軍事と金 融こそが、国家の具体的“力”であり、その力を外国と争うという意味で、これは戦いだ。では、中国の敵は誰 なのか、勝者は誰になるのだろうか。
欧米主要金融勢力集団の陰謀? 中国で「貨幣戦争」と言えば、2006 年からベストセラーになった宋鴻浜の著書シリーズを思い出す。日本でも 翻訳されているので、ご存知の方も多いだろう。彼は、米国のリーマンショックなどの予想を的中させ、米ビジネ スウィーク誌が選ぶ中国で最も影響力のある 40 人(2009 年)の一人にも選ばれた。 彼の描く「貨幣戦争」とは、有り体に言ってしまえば、欧米国際金融陰謀論だ。中国にとっての敵は欧米主要 金融勢力集団となる。彼の著書『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを 狙う』(武田ランダムハウスジャパン)では、彼らが将来的に中国に攻撃を仕掛ける手法についても予測してい た。 国家の辺境は陸の境、海の境、空(宇宙)の境のほかに金融の境があり、いずれの境の防衛も大事だが、中 でも金融の境を攻撃され崩されれば、政権は必ず倒れる。清の滅亡は、英国金融資本の攻撃によって、中国 の銀本位制が崩されたからだ、という。領土領空を守るように、金融の国境を守れなければ、いかに富国強兵 をやろうとも工業が盛んになろうとも、国家は亡びるのだ。 そして、宋鴻浜の予言通り、いよいよ今年、通貨戦争の狼煙が上がった、ということになる。 中国メディアの報道ぶりをみれば、その先陣を切ったのが、安倍政権による「マイナス金利」ということになる。 財経誌は「日本のマイナス金利ブラックスワンが中国を狙い撃ち 北京はきらめく剣でもって貨幣戦を迎え撃 つ」という見出しの記事で、次のように報じている。 日銀「マイナス金利」政策が先陣? 「日銀のマイナス金利政策は FBR の利上げを受けた国内経済刺激策である。…欧州中央銀行もおそらく、刺 激策を強化してくるだろう。米国の金利政策と日本、欧州の本道に外れた行動は、報酬率が比較的高い米国資 産に投資家を殺到させ、ドルのさらなる利上げ圧となっている。 このため、米国のインフレを抑えようとする圧力がさらに進み 2012 年以来、米インフレ率は FRB の目標の 2%に到達していない。 我が国は実業資本の豊富な国家である。世紀の金融大決戦はすでに幕が切って落とされた。金融投機資金 はすでに飢餓に耐えがたく、必ずや最後の賭けに出て、我が国に対して最大の努力をもって攻撃を発動するだ ろう。そして我が国を貨幣投機の天国、実業資本の地獄にするつもりなのだ」 「(マイナス金利によって)日本経済が良くなれば、グローバル経済にとっても、中国経済にとっても当然、促進 作用がある。しかし、中国商品が日本商品と競争するとき、その競争力は下降する。円のマイナス金利は短期 的には我が国の株式市場を刺激するかもしれないが、長期的には我が国の経済にとって不利な一面があり、 日本の経済の衰退のツケを我が国の庶民に支払わせることと同じである。 我が国としては、日本の貨幣政策の過剰な緩和がもたらす影響を無視できない。これは“近隣窮乏化政策”で あり、日銀のこの“大放水”政策の最大の影響を受けるのは隣国である。… 華林証券策略アナリストの胡宇は、円のマイナス金利時代は、貨幣戦争の開始を意味する、という。…グロー バル経済とっては、通貨切り下げ競争という負のスパイラルが激化し、株式市場にとって表面上よいニュースで あっても、実際上の意味は経済の展望に対する不安を一層深めるものであり、短期的に反発があっても今後さ らに下がっていくだろう、と分析する。 我が国はどうすればよいのか。もし金融緩和政策と人民元切り下げによって、グローバル実業資本争奪戦に 参戦していけば、米国資本の乗っ取り計画は無に帰し、金融投機資本は十分な栄養を見いだせず、再度金融 危機が起きるだろう。現在のグローバル金融の反応はこのような心配を反映している。 我が国はあえて“きらめく剣”をもって、“手段を選ばずに潰しにくる攻撃者”を迎え打つと同時に、伝統産業の 併合を加速して生産過剰が金融リスクをもたらす原因を解消せねばならないのである。将来、我が国の為替政 策は国内経済の需要に応じてスタートするべきで、人民元が順調に SDR 貨幣バスケットに加入することはもと より重要だが、もし、本当に最後の手段が必要になれば、放棄すべきは放棄し、先延ばしすべきことは先延ばし すべきだろう」。 日本のマイナス金利の中国経済に対する影響はそんなに大きくない、という見立てもあるのだが、最近の中 国はどうも安倍政権のやることなすこと中国に敵意があるとみなしがちである。だが、中国としては、外国投機 筋から人民元を守るべく為替介入していくつもりであり、そのために、SDR 加入の延期も辞さない覚悟も見せて いる。 ソロスの空売り攻勢か? チャイナデイリー(2 月 1 日付)の「貨幣戦争?人民元が勝つ!」というタイトルの商務部国際貿易経済合作研 究院研究員・梅新育の論文も話題を呼んだ。 「2016 年、ソロスは“貨幣戦争”発動を宣言し、人民元を含むアジア貨幣に空売りを仕掛けた。…ソロスの人 民元に対する挑戦は成功不可能だ。2015 年から人民元は対米ドル貨幣価値が下落し、中国経済の成長率は 減速、株式市場は不安定だ。だが、グローバル経済総体があまりよくない状況で、中国は依然良好なファンダメ ンタルズを維持している。…確かに 2015 年中から、人民元の小幅な下落は続いているが、20 年来、米ドル為 替率は安定を維持し、むしろ上昇の趨勢にあった。 大幅な人民元上昇の後、(現状のように)適度に切り下がるのは自然なことだ。中国は世界第二の経済体で あり、人民元は永遠にドルにペッグされることは不可能でもある。 国際社会での資本の流動性は非常に高く、この状況下で、中国が貨幣政策の独立性を維持したいと考えれ ば、人民元は正常な変動が望まれる。投資家たちは早晩、状況の趨勢が分かるようになり、この数か月前から の人民元の不安定さを再演することはないだろう。これは投資家たちの過剰な反応なのだ。… 長期的に見れば、ドルは新興国通貨に対する強硬姿勢を維持していくだろうが、人民元は別である。目下、中 国の貿易黒字は続いており、これからも継続していく。米国経済はすでに深みにはまっている。経済成長と異な る産業の盛衰には因果関係があり、同時に実体経済の基礎計画の一部である再工業化戦略を地固めするの は、かなり難しい。 米国経済が回復したとしても、その貨物貿易状況は悪化しているだろう。…60 年代以来、何度かドル危機は 起きたが、悪化し続ける貿易状況と経常収支状況と財政赤字がドルの自信を打ち砕いてきた。最近のドルの人 民元に対する強気の姿勢は、最終的には“トリフィンのジレンマ”に陥るだろう。 ソロスのアジア貨幣戦争勃発を別の角度から見れば、中国にとっては一つのチャンスだ。つまり、中国とその 他アジア各国の金融・財政領域および、中国が発起した“一帯一路”戦略の協力を進化させる契機となる。…中 国とその他アジア新興経済体との金融領域の協力、協調はさらに強化されることだろう」 「トリフィンのジレンマ」とはエール大学のロバート・トリフィン教授が 1961 年に唱えた説で、「米ドルが国際的 な準備通貨であるためには、諸外国がドルの外貨準備を保有できるよう、米国は余剰流動性を供給しなければ ならない。このため、米国は経常赤字を容認しなければならないが、これは米ドルの信認を揺らがせかねない。 だが、米国が米ドルの信認を保つために経常収支を均衡させてしまうと、国際市場へのドルの流動性供給が滞 り、結果的に米ドルが準備通貨の役割を果たせなくなってしまう」というブレトンウッズ体制の抱える矛盾を指摘 している。 梅新育の論はドルの国際通貨時代の終焉に代わり、人民元が「一帯一路」戦略を通じて国際通貨にのし上が るという、中国の野望を表現したものだといえる。 最後に新浪財経の「人民元が最後に世界を救う責任を担う!」という記事。 人民元には「世界を救う重責」? 「中国人民銀行金融研究所長の姚余棟は、米ドル利上げ後、グローバル経済の流動性が緊縮し人民元が世 界を救う重責を担う情勢となった、と指摘する。… 歴史上、我が国の北宋時代は経済が繁栄していた。それは白銀と銅の交換率が上昇するとの予測があった からだ。このため多くの白銀を備蓄したが、結果、流動性が不足し、デフレとなった。同じことが、白銀が米ドル となって現在起こっている。姚余棟はこの例をひいて、ドルの利上げはドル不足をもたらし、グローバル経済の 流動性不足を激化させる、と警告。 ドル利上げによる資本流出は中国において非常に巨大で、12 月の外貨準備は 3.33 兆ドル、前月比 1079 億 ドルも減少する。これは史上最大の単月下げ幅を記録。2015 年通年で、中国は累計 5126.6 億ドルも外貨準備 を減らした。さらに 3000 億ドルの貿易黒字を考慮すると、2015 年の中国の資本流出は 8000 億ドルを超える。 これは全体的に言って憂慮すべき数字だ。 マクロ的データの表層での情緒はすでに一般の個人投資家に伝播し、上海、深圳の銀行では大勢の人が群 がり、かつての中国版ミセスワタナベたちはドルへの兌換に詰めかける新勢力となって、人民元為替レートの将 来を不安がる人心は、すでに一種のパニック的ムードを形成している。… 姚余棟によれば、中国が単なる製造業国家であり、貨幣が国際通貨でなければ、人民元は長期的に下げ圧 力にさらされる。しかし、去年、人民元はすでに SDR 入りを認められ、局面はすでに変化している。もはや中国 は単なる製造業国家ではない。グローバル経済の流動性を強化するため、人民元は世界を救う重責を担わね ばならないのだ。人民元が流動性を補えば、来るべき冬はさほど寒くはないだろう。… 人民元が世界を救うには二つの前提がある。一つは、実際に人民元が国際化すること。二つに、人民元が兌 換できる通貨バスケット通貨の相対的な安定だ。中央銀行はすでに同様の思考を明らかにしている。中央銀行 研究局首席エコノミストの家馬駿は、『人民元レートの形成メカニズムはすでにドルにペッグされていない。完全 な自由変動制ではないが、バスケット通貨の影響力は増しており、バスケットレートの安定を保持するようにな っている。これが、将来的な人民元レート形成メカニズムの基調となる。この種のメカニズムを実施すれば、人 民元のバスケット通貨レートに対する安定性が増し、人民元の米ドルに対する双方向の変動は一層大きくなる だろう』。… 李稲葵(清華大学世界経済研究センター主任)によれば、ドルが回流し、人民元が国際通貨となれば、長期 的にはむしろ人民元価値は上昇するという。いわく、人民元の下落は長期的には続かない。国外のマーケット は中国への空売りを唱え、また中国政府が通貨切り下げの方法で経済を救済しようとしているとも言うが、これ はマーケットが煽る人民元下落予測に過ぎない。国内マーケットの場合、これは大衆のパニックが元の下落を 引き起こしているのであって、目下の経済調整に非常に有害である。 だが、フリーのエコノミスト、呉裕彬は李稲葵らに反対の観点から次のように語る。『目下の外貨準備資産の 流出は 5500 億ドル。おそらく今年の 8 月ごろ、外貨準備資産は底をつく。この時、為替市場の伏兵が四方から 立ち上がり、中央銀行は“兵”を調達することができず、人民元レートはただ自由落下運動の状態になるだろ う』。…」 このほか、論評はいろいろあるのだが、総体的にまとめれば、中国政府の目下の貨幣戦争における戦術は、 とりあえず 3.3 兆もの“弾薬”を使って、宋鴻浜の言うところの欧米国際金融勢力を撃退することから始まるよう だ。然る後に中国経済の都合に合わせて事実上の対ドルペッグから変動為替制に移行していく。中国の国際 収支状況は良好で、国際競争力も依然強いのだから、長期的に見ればむしろ上昇するはず、そうしたらドルに 代わって世界金融の救世主になるのは人民元だ、という極めて希望的シナリオを描いている。 改革を断行する勇気は? しかしながら呉裕彬の予測のように“弾薬”が 8 月に尽きるという予測もある。そもそも、外貨準備を使っての 人民元防衛は戦術的に誤りだという指摘もある、と仄聞している。人民元が国際通貨入りを目指すならば、 早々に変動為替制に移行すべきで、それによって習近平政権が強引に 2 割も上げた人民元が 2、3 割下がる のは必要な洗礼だろう。それよりも遅々として進まぬ国有企業改革や生産調整の大ナタを振るう方が先ではな いか、と。どうも、戦術的に戦略的にも、中国内部で方針が絞り切れていないような話もある。 「通貨戦争」の狼煙は確かに上がっているようだが、中国の真の敵は、外国投機筋でも、日本のマイナス金利 でもなく、痛みに耐え抜いて改革を断行する自らの勇気のなさの中にあるのかもしれない。
上海漢院顧問今週注目した記事です。
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